河内阿蘇神社は、霊亀元年(西暦715年)藤原泰忠が若宮大明神として阿蘇の三柱の神様を河内の海岸にお祀りし、始まりました。
時代は定かではございませんが、河内の昭和の大災害のような水害が河内で起きました。
その後、村人が河内阿蘇神社から坂を下りて民洞の海岸に行くと水辺に「つづら籠」が打ち上げられていました。
村人は「つづら籠」をお宮の下の石に置き、開けてみると十二の御神像が入っていました。
村に帰り、調べてみると阿蘇の神様が大雨で流されて来たことが分かったので、氏神様として河内阿蘇神社で阿蘇十二神が祀られるようになったとされています。
(この坂を下った先が民洞の海岸ですが、残念ながら現在は塩屋漁港整備により半分以上が埋立となってしまいました。)
また、「つづら籠」を置いた石を「つづら石」と呼び、神様がお座りになった石なので、その石に乗ると「虫のせく」(お腹を壊す)という言い伝えがあります。
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